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2007年09月19日

日本のテニス界

日本では1878年にアメリカのリーランドが文部省の体操伝習所で紹介したものが最初とされる。用具の調達が困難であったことからゴムボールを使う日本の独自の軟式テニスを考案し、独自の発展を遂げた。その軟式テニスで育った選手(熊谷一弥、清水善造、佐藤次郎等)が硬式テニスに転向し、欧州、米国に転戦し始める。彼らはその独特のテニスで大活躍し、世界を驚かせた。清水は1920年のウィンブルドン選手権「チャレンジ・ラウンド」で決勝に進出し、当時の世界ナンバー1だった米国のビル・チルデンに肉薄した。熊谷が主に米国で活躍し、クレーコートで無類の強さを発揮した。佐藤は当時の世界ランキングで3位まで昇りつめたが、1934年4月に遠征中にマラッカ海峡で投身自殺をする。1970年代には日本でもプロ選手が登場、そのプロ第1号(戦後初のトーナメントプロ)である神和住純(父が軟式テニスの全日本チャンピオン、本人も軟式出身)が世界を転戦する。神和住は主に「WCTサーキット」で活躍し、当時のトップ選手だったスタン・スミスを2度破るなどの活躍を見せた。近年は松岡修造の健闘があった。平均的な成績(アベレージ)はいくらか低かったものの、ピーク時は限りなく高く、時にトップランカーと互角に渡り合い、そして倒した。1995年ウィンブルドン選手権男子シングルスでのベスト8は大健闘といっていいだろう。それ以後、日本の男子選手で世界トップレベルに近づいた選手は少ない。

女子では1975年のウィンブルドン選手権女子ダブルスで、沢松和子とアン清村のペアが初優勝したことが日本テニス界の起爆剤となり、世界挑戦を目指すプロ選手が増えてきた。1980年代に活躍した井上悦子はその先駆者的な存在となる。やがて、1989年にプロ転向した伊達公子が、1990年代に目覚ましい大活躍を遂げ、日本人の女子テニス選手として初の世界ランキングトップ10選手に成長した。同時期には沢松奈生子、雉子牟田直子、長塚京子、神尾米、遠藤愛、佐伯美穂、吉田友佳、杉山愛等が次々と世界ランキングトップ100入りし、日本女子テニスは全盛を築く。平木理化の1997年全仏オープン混合ダブルス部門での優勝もあった。しかし伊達が1996年に引退した後、他の選手の勢いも衰えた。2004年2月に杉山愛が世界ランキング8位を記録し、日本人女子として2人目のトップ10入りを果たしはしたが、杉山と浅越しのぶ(伊達の後輩にあたる)の活躍に頼りきりの状態が長らく続いてきた。その浅越しのぶは2006年を最後に引退を表明。森上亜希子、中村藍子、森田あゆみなどの今後の活躍が望まれている。

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